クラス写真を撮影する日 起立性調節障害(OD)三男の場合
こんにちは、うめこです。
進級やクラス替えは復学のチャンスだと思っていました。今までとは環境が変わるため学校にも行きやすくなり「またここから新しい人間関係を築いていきやすいので、クラスに溶け込むことができるように、できるだけ登校して学校に行きずらくならないようにした方がいい」わたしは相変わらずそんな気持ちでいっぱいでした。
ところがやはり、三男は朝起きることができません。
集合写真は合成写真
新学期に入って学年が上がると毎年クラス写真を撮影しますが、撮影日に学校をお休みをした子は集合写真の上部に顔が合成されてしまいます。
合成されるのは絶対、絶対イヤだ!
写真はずっと残ってしまいます。それを見るたび学校に行けなかったことを思い出してしまうような気がして、わたしも合成写真には少しだけ抵抗があったため、三男と「二人で協力して、その日は朝早起きをして学校に行こう」ということになりました。
ところが当日、気合が入りすぎたのか三男は5時半に起床してしまいました。案の定、学校に行く時間になると真っ青な顔をして
おなかが痛い 吐き気がする・・・
ソファーの上から動くことができなくなってしまいました。
しばらくしておなかの痛みや吐き気も収まり、顔色もだいぶ良くなりましたが、写真撮影はすでに終わってしまっていました。おなかの痛みがなくなると急に眠気が襲ってきたようで、10時には気を失うように眠ってしまいました。その日はそのまま夕方近くまで食事もとらず眠りました。
不安な気持ちは自分の意思で消せるようなものではないため、このように身体症状となって現れてくるのがODなのです。新学期になったら復学できるかもしれない、きっと三男自身もそう考えていたと思います。
起きれないのは自分のせいなのか、病気のせいなのか。不登校の二次的症状がODなのか、ODだから学校に行けないのか。
わかることはたった一つだけ「学校に行かない」その事実だけです。
後日再び写真撮影
その日、担当の先生から連絡があり、
集合写真は別の日にもう一度写真屋さんによる撮影があるので大丈夫ですよ
さらにその予備日もお休みした場合は、登校できた時に先生が撮ったものを集合写真に合成するそうです。必ず写真に三男を入れていただけるということのようです。
合成写真になっちゃうのかぁ~ 学校に行けなかったんだから仕方がないね。
とわたしには受け入れた様子を見せていましたが、本心かどうかはわかりません。
そもそも、無理に集合写真に納まらなくてもいいのでは?と思うのですが、本人が何も言ってこないのでとりあえず流れに任せてみることにしました。
不登校の原因
三男は自分の気持ちを表現するのが上手ではなく、いつもニコニコしています。
その場に適しようと思ってニコニコしておけば、とりあえず何とかなることがわかっているのだと思います。
でも決して本心ではないので、それを自分の中で上手に処理できず思春期を迎えたと同時に暴発してしまったのが、不登校という形になって表れたのだとわたしは思っています。
不登校の理由をたずねても、よくわからないと言います。わかってはいてもうまく説明できない、説明できても「それはわがままだ、甘えだ」と言われるのが怖い、だから「わからない」としか答えられないのです。
三男はもともと集団生活が苦手で、1対1の付き合いを好みます。大人数の中では圧倒されて疲れてしまうため学校は三男にとって過酷な環境だったのだと思います。もっと早くからそれに気が付いて三男の気持ちを理解してあげる必要があったのは言うまでもありません。
行事が目白押し
クラス写真が終わったら次は遠足があります。それが終わったら運動会です。運動会は6年生には活躍の場がたくさん用意されています。
修学旅行や今年は隔年で行われている学芸会があります。6年生は卒業文集を作らなくてはならないため、思い出が少ない場合には卒業文集づくりは大変困難な作業となることが容易に想像できます。
卒業文集のために参加するというわけではありませんが、もしかしたらそれも一つのモチベーションになるのかもしれません。三男と相談してながら取り組んでで行こうと思ってます。
おわりに
不登校になり初めのころ「学校に行かなくなったらどんどん行きずらくなってくるから多少辛くても学校行った方がいい」と言い聞かせて学校に連れていったことがありました。「休み癖がつく」とそういった言葉も周辺から聞こえてきて、わたしは何とか軌道修正をしようと必死になって三男に関わっていました。
今思えば、行きずらくなることは本人が一番わかっていたことなのだと思います。朝起きれないのは、もしかしたらゆっくり休みを取る必要があると、身体が自らを守るためにしていることなのかもしれません。本人がそう言うからそうなんだ、と理解してあげることが必要なのだと思います。
学校に行きずらければ行かなくても大丈夫。
もうすぐ平成も終わります。わたしはこの平成最後の年を一生忘れることはないと思います。令和がいい年になりますように。
お読みいただきありがとうございました。