「信じて見守りましょう」とはどういうことか 不登校の子どもを持つ親が疑問に思うこと
こんにちは、うめこです。
うちの三男(小6)は不登校になってから起立性調節障害(OD)を発症しました。
この状況になって1年ほど経ちますが、
不登校になり始めたころ「見守りましょう」「今はそっとしておきましょう」「信じましょう」なるものをアドバイスされました。
いきなりその表現ではなくオブラートに包んだ様な言いまわしでしたが、かいつまんでいうと「信じて見守りましょう」だったと記憶しています。
「信じる」って何を信じるの?
不登校の経験者やカウンセラーの方の多くは「お子さんを信じて見守りましょう」といいます。
三男が不登校になりたての頃は、わたしには何を言っているのかが全く理解不能で
見守る=見捨てる
そういう解釈しかできませんでした。
何を信じれはいいのだろう?とかえって迷宮入りしていたような気もします。
ただやみくもに「見守ろう」と言われても渦中にいるときは、その本当の意味などわかりません。
不登校の初期段階ではかなり動揺しているので、その状態で信じろと言われても、それを受け入れるのは無理です。学校へ戻すことが正しいと信じて疑わないのであれば、なおさらです。
1日学校を休んだだけでも気が気ではないのに、見守れだと?!(-"-)
では見守りとはなんぞや?
「見守る」というのは、親が本心でそう思えるまでのプロセスが親子間にあって初めてできる行為なのだと私は考えます。
子どもとのそれなりの時間、それなりの関わりを経てたどり着いた先が、結局のところ見守りです。
わたしは三男が不登校になってからいつしか、幼児を育てるくらいの大らかな気持ちを持って三男に接することを心掛けるようになりました。
毎日三男を見ていて、三男は悪気があってやっているわけではない思うようになってきたからです。
本当につらいんだということがわかるようになって、わたしが寄り添うことができるようになると三男もわたしに少しずつ心を開いてくれるようになりました。
伊藤幸弘先生のお話がとても参考になっています。
1年前に藁をもすがる気持ちでDVDを購入して観ましたが、実は今頃ジワジワ効いてきています!(^^)!
経歴や見た目とのギャップがまた魅力的で、その器の大きさに感動を隠せません。
まずは信頼関係を作る
私の場合は、ゆるぎない子どもとの信頼関係を手に入れることができたとき、見守り段階に自然と突入していったような気がします。
早い段階から見守るということが理解できている方がたくさんいらっしゃって、すごいなーとずっと思っていました。
わたしはそう思えるまで1年掛かりました(^-^;。
もちろん、三男はまだ小学生なのでこれから中学生になってどうなっていくのかは実際なってみないとわかりません。
その先には進路のこともあります。課題山積なので再び気持ちが乱れることもあるかもしれませんが、信頼関係さえあれば まーなんとかなる とも思えるようになりました。
信じて見守るようになるには
どうしてもそんな気になれない
とか
あー無理!
という場合は
カウンセラーの先生や専門家の方が手助けをしてくれると思うので、話を聞いてくれる信頼できる人をとにかく1人でもいいので、見つけてお話をじっくり時間をかけて聞いてもらうことをお勧めします。
わたしはグループディスカッションは苦手なので対面式のカウンセリングが中心です。ODの主治医の先生、学校のカウンセラーの先生、適応指導施設ののカウンセラーの先生の3人にそれぞれ相談させてもらっています(現在進行形)
その中でも学校のカウンセラーの先生はもうすでに3年間お付き合いさせていただいています。三男は小3の時プチ不登校になったことがあり、その時からのお付き合いです。
当初カウンセラーの先生に対しては、正直言って不信感を抱いていました。三男の不登校は治らなかったからです。当然ですが( ̄▽ ̄;)
わたしの話を聞いてもらったくらいで不登校は治りませんが
相談の回数を重ねていくごとに自分のありかたが見えてきたり、解決にいたるちょっとした糸口が会話の中から発見できたりします。
なので今では絶大な信頼感を抱いています。
並行して適応指導のカウンセラーの先生の相談も受けていますが、また違った切り口で返してもらえるので、かなり参考になっています。
いずれも自治体で行っているサービスを利用しているのでもちろん無料です。
そしてさらに主治医のドクターのODに対する症状の対処方法などを教えてもらって、
次第に現状を受け入れ冷静に対処することができるようになってきました。
「子どもを信じて見守ること」という表現はとてもわかりずらいけれど
正しい親のあり方として感覚的にはやはり一番近いものなのだと思います。
さいごに
たなぼたではなく自分の手で苦労して、悩んで、泣いて、いろいろ試してみた結果やっと手に入れたぼたもちにこそ本当の価値があるんじゃないかと思います。
ずっと泣いてばかりいましたが、今ではもう涙も出てきませんし、三男と過ごす毎日が楽しくなりました。
家にいていいよ、楽しいこと一緒にしようよ!と思ったとたん、不思議なことに三男は学校へ行くようになりました。
不登校を治そうと思っているうちは治らないけれど
治そうと思わなくなったとたん治ったという話は実際よくあるようです。
見守りの解釈は人それぞれ違うと思いますが、大人が正しく「見守る」ことによってたくさんの苦しんでいる不登校のお子さんたちに笑顔が戻ってくるとわたしは思います。
お読みいただきありがとうございました。