うめこの日記 

起立性調節障害(OD)と診断された三男との日々の記録

子どものピンチの時に親ができること

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こんにちは、うめこです。

 

社会と関わって暮らしていると避けては通れないのが人とのトラブルです。

 

 わたしの尊敬するアドラー先生は人間の悩みは全てが対人関係だと言っています。

 

特に学校生活においては、勉強をする場所というよりは、まわりの人間といかにうまくやっていくのかの方が重要で、友達とうまくいっているときは天国で、そうでないときは地獄だと、子どもの頃そんなふうに思って過ごしていたような気がします。

 

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二男について

 

今、我が家の中でもとくに行動的でいつも忙しい二男に、ちょっとしたピンチが訪れています。

 

夏休みに入っても毎日登校して、夜は家族の中で一番遅く帰宅することも度々あり

夏休みの課題をする時間を作るのに苦労していました。

 

 

夏休みが終わっても忙しいのは変わらず、疲れているんじゃないかなと心配していたそんなある日

 

過呼吸になって担架で保健室に運ばれました」

 

と担任の先生から電話がありました。おそらく過度なストレスが溜まっているのだと思いました。

 

中学生の時にも過呼吸になった事があったので

このまま放っておくわけにもいかないとフォローの必要性を強く感じました。

 

でも二男本人からは何の相談もなくその時は

大丈夫

と一言だけ。

 

講演会で

そんな中、最近ですがわたしは不登校の講演会に参加しました。

今回はわたしの苦手な参加型ではなく完全な講演型でした。

 

 

umeko-art.hatenablog.com

 

 

有識者のお話を定期的に聞くことで、元に戻りかけていた思考が再び修正されるため、こういった機会はとても重要だと思います。

 

そしてどんな講演会でもそうですが、お話しを聴いたあと

 

将来はきっと大丈夫🙆‍♀️なんだ!

 

的な安心感を与えてもらえるのが、とても力になります。

 

 

 

その一方で、そのためには見守りが大切で 子どもが求めている言葉をかけてあげることが重要だ」

というのがだいたい共通して言われていることです。

 

帰宅してから

 

さてどう取り組むか

 

とあとからかなりジワジワきて、いつもあれやこれや色々考えすぎて頭の中が宇宙になることも多いです。

 

見守りとは

 

今回の講演会で特に印象的だったのが

 

「話を聞いて気にかけていることだけでも充分関わっていることになるんですよ。

何も知らないでほったらかしにしているのとは違いますよ」

 

という言葉でした。わたしはこれを見守りの定義だと解釈しました。

 

これはたぶん、不登校の子どもだけに限らず、どの子どもにも言えることなのかなーとも思いました。

 

見守りができない 

 

いつも何かが起こるとわたしは

 

なんとかしてあげなくてはいけない

だまってはいられない

 

という性分で

 

なんとか助けてあげたいという思いから

 

あーしろ、こーしろ

 

とよけいなことを言ってしまっていました。

 

できないから困っているのに

 

あーしろこーしろは

 

やっぱり鬱陶しいですよね。

 

 

関わるか、そうでなければ放置

 

それらの全てがわたしの押し付けで

なんの役にも立っていなかったのは子ども達全員がわかっていることだと思います😅

 

不登校になり始めた三男を無理やり学校に行かせようとして、よけいこじれてしまったのは記憶に新しいところです。

 

何もかもうまくいかず、でも聞いてしまうとじっとしていられない。無駄に関わってしまうくらいならばいっそのこと聞かない方がいい、何も言わない方がいいそんな風に考えていた時期もありました。

 

 

伝えたいことがあると感じたとき

 

二男が成長とともにわたしに何も言わなくなったのは、

どうせまたうるさいこと言ってくるだけだろ!

と思っているのだということは、おおよそ見当はついていますが

 

それでも今回、二男は相変わらず多くは語りませんが、ボソッと呟くように辛さを吐き出す時があり

 

今二男の立場が、一人で抱えこむにはかなり苦しい状況になっているということがわかりました。

 

割と世渡り上手な二男が凹むということは余程の事で、

 

二男が伝えたいことを、わたしはきちんと受け取ってあげなくてはいけないと思いました。

 

わたしがしてあげられること

 

それは二男の話しを聞いて、それについて何かを言うよりも、

わたしはあなたの味方だということを伝え

何が起こっても大丈夫だという安心感を与えてあげること 

やはりそれに尽きるのだと思いました。それが見守りなのだと。

 

人間関係から100%逃げることはできないけれど、せめてわたしのエリアにいるときくらいは安心安全にいさせてあげたい、どうしてもだめなら逃げてもいいんだよということを伝える。

 

さしあたって、二男の好きな食べ物を買ってこっそり二男にだけ渡すとか、枕カバーを毎日取り替えるとか(当たり前かな??😅)そんな小さなことをちびちびと。

でも真剣に考えてます。

 

意外と敏感な二男は、ちょっとしたことにもたぶん気がついてくれるはずです。

 

そして、きっと今回も苦しみながらでも二男はしっかりと自分の力で乗り越えていくのだと思っています。二男は回復がとても早いので、きっと大丈夫👌

 

そんな風にわたしはわたしができることをするのが一番いいのかと思います。

 

そして三男にも

 

その奇跡的に早い二男の回復力から比べると三男の回復力はかなり緩やかなものです。

 

でも、三男にもそんな感じのたくさんの見守りを繰り返すうちに、

きっとゆっくりと、それでも確実に回復していくのではと思うようになりました。

将来もそれほど案ずることもないのではないのかと。

 

確証はないけれど、数々の支援を受けているうちに、なんとなくそんな風に思うようになってきました。

 

 

子どもの求めているもの

 

子どもの求めている言葉をかけてあげるのが重要だという話がありましたが、

 

でもこれが一番難しい😥

たぶんわかっていれば誰も苦労はしないと思います。

 

そして今回の講演会の演者の方はこうも言っていました。

 

親子である限りフォローのチャンスは何度でもある と。

 

今日はだめでも明日のアプローチはうまくいくかもしれません。

 

これだ!という手応えをつかめるかどうかはわかりませんが、明日への希望だけは捨てずにいこうと思ったりしています。

 

最後に

 

子どもに暖かい雰囲気を届けるには、まずはわたしが楽しい気持ちでなくてはならないと思い

それにはやはり適度に楽しみを持とう!と考えます。

 

そうするとわたしの場合、結局食べ歩きになってしまって、自分の巨大化が止められずにいます😅

 

必要経費と思って多少の自分へのご褒美は許してーと言っていますが、さすがに巨大化に対しては、家族全員に白い目で見られます😅

 

困ったなぁ‥

 

ダイエット、そろそろ始めましょうかねー

 

 

今日もお読みいただきありがとうございました。

 

 

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