うめこの日記 

起立性調節障害(OD)と診断された三男との日々の記録

不登校セミナー等について思うこと

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こんにちは、うめこです。

 

わたしは三男が不登校になって起立性調節障害を発症してから、不登校セミナーや親の会などに時間が合えば参加しています。

 

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セミナーのいいところ

 

新しい発見があったり反省したり共感できたり、得られることはとても多く

子どものためのみならず自身の学びの場として有効に活用するようにしています。

 

セミナーの苦手なところ

 

心理士の先生たちなどのお話を講義型で聞いている分にはとても楽しいのですが、対話型で複数の人とお話しをして理解を深めていく、というのがわたしはとても苦手です。

 

人の意見を聞いていると、その声が全部自分の中に入り込んできて、自分が何を言いたいのかがわからなくなってくるからです。

 

そして、こんなことを言っておかしいと思われないかな?と他人の目を過剰に意識してしまって、思っていることをうまく伝えられなくなります。

 

多くのセミナーが前半は講義で後半に対話型、議論型の参加型になります。インプットしたものをアウトプットする感じでしょうか?

 

意図は理解していますが、参加型セミナーは混乱してしまうので基本的に好きではありません。

 

あるセミナーで

 

以前参加したセミナーで、後半に参加型セミナーに変化して

あ、これ苦手なヤツ

と思いつつ主催者に言われるがままその場にいる方とお話しをすることになってしまった時のことです。

 

わたしが一対一でお話することになったお母さんは

 

「わたしはパニック障害なのでこういうのは苦手なんです!できません。何を話せばいいんですか?」

 

と主催者にかけより、半ばパニック状態になっていたように見えました。

 

主催者から

「大丈夫、大丈夫!」

とたしなめられ仕方なく席につき、そのお母さんはわたしと面と向かうことになりました。

 

「わたしは子どもが長く不登校でなんとかしたいと思ってこういうのに参加してますが、お話ができないんです。ごめんなさい。でも不登校を治したいんです。」

 

お気持ちが痛いほど理解できたので

何も言わなくていいですよ

と伝えて結局何もお話しをせずに終わりました。わたしこそがそれでよかったのでホッとしたんですが。

 

でも、そのお母さんは帰宅してからも

『何も言えなかった、何もできなかった』とその事実に悔しさを覚えるのではないだろうか、

とわたしが思って(勝手にですけど)モヤモヤ感を引きずってその場を後にしたのをよく覚えています。

 

その時のレジュメは交流分析でしたが、結果としてメインのお題よりそのお母さんのことしか記憶にありません。

 

交流分析(こうりゅうぶんせき、Transactional Analysis,TA)とは、1950年代後半に、精神科医エリック・バーン(Eric Berne)によって提唱された一つの心理学パーソナリティ理論である[1]人格と個人の成長と変化における体系的な心理療法の理論である。応用範囲は広く、ソーシャルワーカー警察官保護観察官、宗教職者などのカウンセリングで用いられる[1]

  • 自我状態モデルとしては、恐らく、P(Parent、親)、A(Adult、成人)、C(Child、子供)というPACモデルが最も知られており[1]、このモデルは、どのように人々が行動し表現するかということについての理解を容易にしている。
  • コミュニケーションの理論としては、交流分析は、システムと組織の分析における方法にまで及んでいる[1]
  • 交流分析は、子供の発達理論も提供している[1]
  • 交流分析は、「何が問題なのか」「私はどのように人生を過ごせばよいか」といった問題に答えるための、人生脚本という概念を提唱している(ここで脚本とは、ある一人の人生である。)[1]
  • 交流分析は、幅広い精神病理学の理論をも提供している。脚本は、交流分析によれば、結果というより、むしろ苦悩、強制、自虐的行動、その他精神的障害を証明するのに有効である。
  • 実用的な応用の分野では、様々な精神疾患の診断、治療の治療法として、また、個人、恋人、家族、グループへのセラピーの手法として使われている。
  • 治療以外の分野としては、教育分野での教員のより良いコミュニケーションを図るための手法として、またカウンセリングコンサルティングの分野、マネージメント分野、コミュニケーションの訓練、その他様々な団体によって用いられている。 出典: 『ウィキペディアWikipedia)』より

 

 

グループディスカッションが苦手な人がいることを理解しているであろう主催者は、どうしてそういうことをしたくない人にさせるのだろう。いつも不思議に思います。

 

ムリにアウトプットさせる必要がある?少なくともわたしには心地のよいものではありません。

 

今度カウンセリングの先生にその手法の理由をきいてみようと思います。

 

 

親の会でも

 

親の会等々でも対話をする似たようなシーンが見受けられるため、一度参加するとそのモヤモヤ感の回復に数ヶ月かかるので、忘れた頃に参加するのがわたしにはちょうどよいみたいです。

 

もちろん、親の会の存在には感謝しています。情報交換の貴重な場を提供してくださるみなさんには敬意を表していますので、それだけは誤解のないよう。

 

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おわりに

 

HSC.HSPはたくさんの人の中にいると人の感情に巻き込まれて苦しい思いをしやすいです。

 

お子さんがHSCの場合、かなりの高確率で親御さんはHSPなのではないでしょうか?

 

わたしのように、ありがたいけれどセミナーや親の会やアノニマスなどの自助会などに参加するのがツライと思っている人、結構いるんじゃないかと思っています。

 

そして、三男の五月雨登校もわたしのそれと同じ感じなのだと思っています。行きたいけれど行けない。なんとか行ったあとはまた回復するまでやっぱり行けない、みたいな。

 

集団にうまく溶け込めない自分を責めるのではなく、これも個性と捉えて自分の居場所をまた探しながら、三男と今現在旅の途中です。

 

お読みいただきありがとうございました。

 

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